旨い魚と不味い魚2
考える - 2016年10月15日 (土)
みなさん、こんばんは。
今日は10月15日(土)、ここ奈良は快晴でした。
釣りに行きたい気持ちを抑え、
悶々としながら、この記事を書いています(^_^;)
今回は、写真はありません。
釣行でもありません。
先日、二年も前の過去記事「旨い魚と不味い魚」へコメントを頂いて、
改めて読み返してみたのですが、
自分の思うところについて、
言葉足らずの部分が多々あり、
分かり難かったのでは、と思い、
再度整理しながら書いてみようと考えました。
釣った魚を食べて、旨いと感じるか、
それとも不味いと感じるか、
魚の種類や釣った時期、産卵前か後か、
生息環境の水質だとか、調理方法だとか、
いろいろな要素があります。
私は、食べて”旨い”という言葉を発する人へは
微笑ましい視線を送りますが、逆に”不味い”という人には、
(-_-メ)ピキッときます。
その理由を順に挙げてみます。
1.旬と調理法は適切か?
そもそも魚には旬があり、
旨い時期にその魚に合った
適切な調理法で料理しているか?
例えば、黒鯛(チヌ)とキチヌ(キビレ)という似たような2種類の魚がいます。
似たような魚ですが、実は産卵時期が違います。
黒鯛=春、キチヌ=秋
となると、季節によっては、同じ日に同じ場所で釣れた
似たような魚でも、旬が違い、味に差が出るのは自然なことです。
ちなみに、釣りする人の中では、
黒鯛よりキチヌの方が旨いという人が多いのですが、
わたしは疑問に思っています。
また魚の種類によって、肉の厚みや水分量、脂肪の量等々違いがあります。
その違いによって、刺身で食べたら旨い魚、一夜干しにしたら旨い魚、
など料理法でその旨さも大きく変わるのが普通です。
魚を食べる一般的な調理法である刺身や塩焼き、で味がイマイチなら、
その魚はイマイチな魚、つまり不味い魚になってしまうのか、
そんなことはないでしょう。
その魚に合わせて旨く食べられない人間側に問題があると思います。
では、食べる魚の旬や適切な調理法を全て知ってなくてはならないのか?
いえ、そんなことはありません。
(知ってることに越したことはありませんが)
わたしも知らない魚が沢山ありますし。
ここでのポイントは、知らずして簡単に”不味い”と言うなかれ
ということです。
2.生き物を頂いているということ
これが一番大事なことだと思います。
前回記事でわたしはこう書きました。
『何より、他の生き物に対して、”お前らは食材や!”とばかりの生態系の頂点にいる人間の傲慢さが、その「不味い」という言葉に表れているような気がして嫌なのです。』
魚を不味いと言う人に対しての表現ですが、
これでは上手く伝わらなかったかもしれません。
日本は鯨を食べる国です。
獲った鯨は、全ての部位を一切無駄にせず、
食べ、または資源として利用する。
そして、その鯨に感謝し、鯨墓・鯨寺などで供養する。
鯨を食べることの是非については、国内外賛否両論あり、
ここで論じることはしませんが、
少なくとも生き物を有り難く頂く、
その日本人の心は、素晴らしく、大切なことだと思います。
そんな日本人ですが、魚に対してはどうでしょう?
釣って不要な魚はその辺に放置して無駄に死なせる人もいるし、
供養どころか、結構平気で”不味い”と言いますよね。
この違いは何なのか?
哺乳類と魚類の違い?
わたしは、魚を不味いと言う人には、
魚の立場になってみてほしい、と思う。
人間は生態系の頂点なので、
その上に仮に『鬼』がいたとしましょう。
身長3-4mもの大きさになる鬼は人間を食べます。
血気盛んな鬼二人(A鬼、B鬼)が人間のあなたを捕まえました。
鬼に捕まった人間は最早逃げることはできません。
後は、食べられるのを待つのみです。
A鬼とB鬼はジャンケンをはじめました。
勝ったほうが、あなたを食べることにしたようです。
A鬼は、汚く食べるだけ食べて、残骸はその辺に放置するタイプ。
(グロテスクなイメージ)
そして、平気で”この人間不味い!”言っちゃうタイプでもある。
B鬼は、綺麗に食べて、残った骨を土に埋め、感謝するタイプ。
(ご愁傷様のイメージ)
ここで、死を覚悟したあなたへの2択です。
あたたは、どちらの鬼に食べられたいですか?
食べられるなら、どっちでも同じだ!(≧◇≦)
という人もいるかもしれませんが、
ほとんどの人は、どうせ食べられるならB鬼がいい、
というはずです。
先に敢えて書きませんでしたが、
B鬼なら、人間を苦しめず一瞬で締めてくれそうですし、
A鬼は、生きながら肉をむしり取られそう(グロ注意!)。
不味いのなら、逃がしてくれればいいのですが、
A鬼は不味いといいながら、食べちゃいます。
人間にとっては、想像を絶する苦しみです(≧◇≦)
ちょっとグロな例えでしたが、
生き物である魚を頂く人間は、
B鬼のようにあるべきではないか、そう思うのです。
その方が、魚も報われます。
生き物を頂く、その有難味を感じれば、
簡単には不味いとは言えないはずです。
それが例え、産卵後のくたびれた魚でもです。
それが例え、死に間際の老魚でもです。
それが例え、水の綺麗で無いところで釣れた魚でもです。
増してや、水を汚くしたのは、わたしたち人間であり、
魚達ではありませんし。
3.不味いと言ってもいい場合
実はわたしもよく”不味い”という言葉を口にします。
でもわたしが不味いという対象は、「魚」そのものでなく、
自分や時には他人の「料理」に対してです。
わたしは色々な魚料理にチャレンジしていますので、
時には大失敗することもあります。
そんな時は、当然”まずっ”っていいます。
ただ、あくまでも自分の料理に対してであり、
素材として使う魚ではありません。
不味い料理を提供するレストランに対して、
不味いということもあります。
(ただ基本的には、一生懸命、まじめに料理している他人に不味いとはいいませんが)
鬼の例え話に戻りますが、
鬼が、人間を素材とする料理人である『天狗』に
”おまえの料理は不味い!”と言うのは、
それはケースによってはアリだと思うのです。
最後になりますが、
魚を釣って持ち帰る以上は、
その魚のコンディションがどうであれ、
美味しく食べられるよう工夫すべきであり、
結果的に美味しく料理できなかったとしても、
その魚を不味いと言ってほしくない。
自分の料理が不味い、そう思ってほしい。
それがわたしの主張したいポイントでもあります。
ここまで書いたことは私が思うこと、主張したいこと、ですが、
他人に同じ考え方を強要するつもりはありません。
同感だ!と思ってくれる方もいるでしょうし、
いや、俺はそう思わない、という方もいるでしょう。
ただ、少なくともこの記事が魚を食べることの意味について、
少しでも皆様の参考になれば、幸いに思います。
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今日は10月15日(土)、ここ奈良は快晴でした。
釣りに行きたい気持ちを抑え、
悶々としながら、この記事を書いています(^_^;)
今回は、写真はありません。
釣行でもありません。
先日、二年も前の過去記事「旨い魚と不味い魚」へコメントを頂いて、
改めて読み返してみたのですが、
自分の思うところについて、
言葉足らずの部分が多々あり、
分かり難かったのでは、と思い、
再度整理しながら書いてみようと考えました。
釣った魚を食べて、旨いと感じるか、
それとも不味いと感じるか、
魚の種類や釣った時期、産卵前か後か、
生息環境の水質だとか、調理方法だとか、
いろいろな要素があります。
私は、食べて”旨い”という言葉を発する人へは
微笑ましい視線を送りますが、逆に”不味い”という人には、
(-_-メ)ピキッときます。
その理由を順に挙げてみます。
1.旬と調理法は適切か?
そもそも魚には旬があり、
旨い時期にその魚に合った
適切な調理法で料理しているか?
例えば、黒鯛(チヌ)とキチヌ(キビレ)という似たような2種類の魚がいます。
似たような魚ですが、実は産卵時期が違います。
黒鯛=春、キチヌ=秋
となると、季節によっては、同じ日に同じ場所で釣れた
似たような魚でも、旬が違い、味に差が出るのは自然なことです。
ちなみに、釣りする人の中では、
黒鯛よりキチヌの方が旨いという人が多いのですが、
わたしは疑問に思っています。
また魚の種類によって、肉の厚みや水分量、脂肪の量等々違いがあります。
その違いによって、刺身で食べたら旨い魚、一夜干しにしたら旨い魚、
など料理法でその旨さも大きく変わるのが普通です。
魚を食べる一般的な調理法である刺身や塩焼き、で味がイマイチなら、
その魚はイマイチな魚、つまり不味い魚になってしまうのか、
そんなことはないでしょう。
その魚に合わせて旨く食べられない人間側に問題があると思います。
では、食べる魚の旬や適切な調理法を全て知ってなくてはならないのか?
いえ、そんなことはありません。
(知ってることに越したことはありませんが)
わたしも知らない魚が沢山ありますし。
ここでのポイントは、知らずして簡単に”不味い”と言うなかれ
ということです。
2.生き物を頂いているということ
これが一番大事なことだと思います。
前回記事でわたしはこう書きました。
『何より、他の生き物に対して、”お前らは食材や!”とばかりの生態系の頂点にいる人間の傲慢さが、その「不味い」という言葉に表れているような気がして嫌なのです。』
魚を不味いと言う人に対しての表現ですが、
これでは上手く伝わらなかったかもしれません。
日本は鯨を食べる国です。
獲った鯨は、全ての部位を一切無駄にせず、
食べ、または資源として利用する。
そして、その鯨に感謝し、鯨墓・鯨寺などで供養する。
鯨を食べることの是非については、国内外賛否両論あり、
ここで論じることはしませんが、
少なくとも生き物を有り難く頂く、
その日本人の心は、素晴らしく、大切なことだと思います。
そんな日本人ですが、魚に対してはどうでしょう?
釣って不要な魚はその辺に放置して無駄に死なせる人もいるし、
供養どころか、結構平気で”不味い”と言いますよね。
この違いは何なのか?
哺乳類と魚類の違い?
わたしは、魚を不味いと言う人には、
魚の立場になってみてほしい、と思う。
人間は生態系の頂点なので、
その上に仮に『鬼』がいたとしましょう。
身長3-4mもの大きさになる鬼は人間を食べます。
血気盛んな鬼二人(A鬼、B鬼)が人間のあなたを捕まえました。
鬼に捕まった人間は最早逃げることはできません。
後は、食べられるのを待つのみです。
A鬼とB鬼はジャンケンをはじめました。
勝ったほうが、あなたを食べることにしたようです。
A鬼は、汚く食べるだけ食べて、残骸はその辺に放置するタイプ。
(グロテスクなイメージ)
そして、平気で”この人間不味い!”言っちゃうタイプでもある。
B鬼は、綺麗に食べて、残った骨を土に埋め、感謝するタイプ。
(ご愁傷様のイメージ)
ここで、死を覚悟したあなたへの2択です。
あたたは、どちらの鬼に食べられたいですか?
食べられるなら、どっちでも同じだ!(≧◇≦)
という人もいるかもしれませんが、
ほとんどの人は、どうせ食べられるならB鬼がいい、
というはずです。
先に敢えて書きませんでしたが、
B鬼なら、人間を苦しめず一瞬で締めてくれそうですし、
A鬼は、生きながら肉をむしり取られそう(グロ注意!)。
不味いのなら、逃がしてくれればいいのですが、
A鬼は不味いといいながら、食べちゃいます。
人間にとっては、想像を絶する苦しみです(≧◇≦)
ちょっとグロな例えでしたが、
生き物である魚を頂く人間は、
B鬼のようにあるべきではないか、そう思うのです。
その方が、魚も報われます。
生き物を頂く、その有難味を感じれば、
簡単には不味いとは言えないはずです。
それが例え、産卵後のくたびれた魚でもです。
それが例え、死に間際の老魚でもです。
それが例え、水の綺麗で無いところで釣れた魚でもです。
増してや、水を汚くしたのは、わたしたち人間であり、
魚達ではありませんし。
3.不味いと言ってもいい場合
実はわたしもよく”不味い”という言葉を口にします。
でもわたしが不味いという対象は、「魚」そのものでなく、
自分や時には他人の「料理」に対してです。
わたしは色々な魚料理にチャレンジしていますので、
時には大失敗することもあります。
そんな時は、当然”まずっ”っていいます。
ただ、あくまでも自分の料理に対してであり、
素材として使う魚ではありません。
不味い料理を提供するレストランに対して、
不味いということもあります。
(ただ基本的には、一生懸命、まじめに料理している他人に不味いとはいいませんが)
鬼の例え話に戻りますが、
鬼が、人間を素材とする料理人である『天狗』に
”おまえの料理は不味い!”と言うのは、
それはケースによってはアリだと思うのです。
最後になりますが、
魚を釣って持ち帰る以上は、
その魚のコンディションがどうであれ、
美味しく食べられるよう工夫すべきであり、
結果的に美味しく料理できなかったとしても、
その魚を不味いと言ってほしくない。
自分の料理が不味い、そう思ってほしい。
それがわたしの主張したいポイントでもあります。
ここまで書いたことは私が思うこと、主張したいこと、ですが、
他人に同じ考え方を強要するつもりはありません。
同感だ!と思ってくれる方もいるでしょうし、
いや、俺はそう思わない、という方もいるでしょう。
ただ、少なくともこの記事が魚を食べることの意味について、
少しでも皆様の参考になれば、幸いに思います。
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