小鮒はいずこへ・・・・改め 『比較』について
考える - 2013年09月13日 (金)
みなさん、こんにちは。
昨日今日とまたまた暑い日が続きますね。。。
それでも朝夕は過しやすいのが救いです。
人間、良きにも悪きにも比較する動物なので、
非常に暑い真夏の酷暑を経験した後では、今日ぐらいだと、
「暑いけど、まだマシ」とちょっとだけ余裕をかますことができます。
この『マシ』が言えることが大事で、
自分が過去に経験したこと、他人が経験している大変な状況、
それらと比べて、『マシ』『まだ恵まれている』と思えることが、
いろいろな苦境・苦難を乗り越えるちょっとしたコツなんだと思います。
でも暑いのを我慢しすぎて、熱中症にならないようお気を付けください^^;
この使いようによっては役に立つ、他と『比較』するということ、
私たちは時に、あまり良くない使い方をすることがあります。
「あの人は大手企業に勤めて、出世コースをまっしぐら、それに比べて、自分は長年勤めた中小企業をリストラで首切られ、プー太郎。」
とか
「あの人は他も羨む美貌の持ち主で、絵画や音楽など多才で全てにおいて、自分は敵わない」
とか
「お隣さんは、大きな敷地・大きな豪邸に住んで外車も数台もっていて、裕福な暮らしをしている、自分はこんなに毎日がんばっているのに安月給で賃貸暮らし」
という感じで『比較』してしまうわけです。
そして、その後に来る言葉は、
「どうして自分はこんなにダメな人間なんだろう・・・」
とか
「世の中公平でない、日本の国が間違っている・・・」
とか
自分を貶めるか、他を攻撃することに思考が向うわけです。
その思考回路がストレス発散になればいいですが、
そういうネガティブな思考は、人間を過度に消耗させ、
逆に鬱積されていくから性質が悪い。。。
であれば、そういう良くない『比較』によってネガティブ思考回路が作動した時は、
直ちに安全装置を働かせ、思考を遮断するのが一番。
「なんくるないさ!」と笑い飛ばす感じです。
自分を貶める位なら、比較なんかしないほうがいいですもんね^^
そして、更に良くないのは、
他人と近しい人を比べ、その近しい人を貶める人。。。
これは、その人本人は『比較』していないのに、なんか勝手に他人と『比較』され、
自分は不出来なんだと思い知らされるパターン。
「Aちゃんは、毎日宿題ちゃんとやって、成績も優秀なのに、どうしてあんた(自分)はそれができないの!Aちゃんを見習いなさい!」
とか、自分の親が余所の子と自分を比べ、自分を崖から突き落とす行為があります。
勿論、当の親は、子供にハッパをかける位に思って、親心から言っているわけですが、
それも度が過ぎると子供は委縮してしまいますし、時には反発もします。
親により、自分を貶められた子供は、
こんどは自分で自分を貶める思考回路を容易に作動させてしまうことがあります。
上に書いたような「なんくるないさ!」と笑い飛ばせばいいのさ、と言ったところで、
澱物のように、心の奥底に沈殿しているものは簡単に払拭できやしない。。。
であれば、最初から『比較』など行わないほうがいい。
自分の都合の良い『比較』だけすればいいのだと思います。
それの根底にあるのは、
「自分に優しく」です。
自分以外に、常に自分に優しくしてくれる人なんて、そういません。
だから自分が自分を貶める行為というのは、非常に悲しいことです。
自分の行き場がなくなります。。。
私たちは、「自分に優しく」ありたいと思います。
それができれば、人にも優しくできるものだと。。。。
あらら、、、もともと余談のつもりで思いのまま書いたのですが、
ちょっと長くなったので、「小鮒釣り」の続きは、
次の記事にて^^;
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昨日今日とまたまた暑い日が続きますね。。。
それでも朝夕は過しやすいのが救いです。
人間、良きにも悪きにも比較する動物なので、
非常に暑い真夏の酷暑を経験した後では、今日ぐらいだと、
「暑いけど、まだマシ」とちょっとだけ余裕をかますことができます。
この『マシ』が言えることが大事で、
自分が過去に経験したこと、他人が経験している大変な状況、
それらと比べて、『マシ』『まだ恵まれている』と思えることが、
いろいろな苦境・苦難を乗り越えるちょっとしたコツなんだと思います。
でも暑いのを我慢しすぎて、熱中症にならないようお気を付けください^^;
この使いようによっては役に立つ、他と『比較』するということ、
私たちは時に、あまり良くない使い方をすることがあります。
「あの人は大手企業に勤めて、出世コースをまっしぐら、それに比べて、自分は長年勤めた中小企業をリストラで首切られ、プー太郎。」
とか
「あの人は他も羨む美貌の持ち主で、絵画や音楽など多才で全てにおいて、自分は敵わない」
とか
「お隣さんは、大きな敷地・大きな豪邸に住んで外車も数台もっていて、裕福な暮らしをしている、自分はこんなに毎日がんばっているのに安月給で賃貸暮らし」
という感じで『比較』してしまうわけです。
そして、その後に来る言葉は、
「どうして自分はこんなにダメな人間なんだろう・・・」
とか
「世の中公平でない、日本の国が間違っている・・・」
とか
自分を貶めるか、他を攻撃することに思考が向うわけです。
その思考回路がストレス発散になればいいですが、
そういうネガティブな思考は、人間を過度に消耗させ、
逆に鬱積されていくから性質が悪い。。。
であれば、そういう良くない『比較』によってネガティブ思考回路が作動した時は、
直ちに安全装置を働かせ、思考を遮断するのが一番。
「なんくるないさ!」と笑い飛ばす感じです。
自分を貶める位なら、比較なんかしないほうがいいですもんね^^
そして、更に良くないのは、
他人と近しい人を比べ、その近しい人を貶める人。。。
これは、その人本人は『比較』していないのに、なんか勝手に他人と『比較』され、
自分は不出来なんだと思い知らされるパターン。
「Aちゃんは、毎日宿題ちゃんとやって、成績も優秀なのに、どうしてあんた(自分)はそれができないの!Aちゃんを見習いなさい!」
とか、自分の親が余所の子と自分を比べ、自分を崖から突き落とす行為があります。
勿論、当の親は、子供にハッパをかける位に思って、親心から言っているわけですが、
それも度が過ぎると子供は委縮してしまいますし、時には反発もします。
親により、自分を貶められた子供は、
こんどは自分で自分を貶める思考回路を容易に作動させてしまうことがあります。
上に書いたような「なんくるないさ!」と笑い飛ばせばいいのさ、と言ったところで、
澱物のように、心の奥底に沈殿しているものは簡単に払拭できやしない。。。
であれば、最初から『比較』など行わないほうがいい。
自分の都合の良い『比較』だけすればいいのだと思います。
それの根底にあるのは、
「自分に優しく」です。
自分以外に、常に自分に優しくしてくれる人なんて、そういません。
だから自分が自分を貶める行為というのは、非常に悲しいことです。
自分の行き場がなくなります。。。
私たちは、「自分に優しく」ありたいと思います。
それができれば、人にも優しくできるものだと。。。。
あらら、、、もともと余談のつもりで思いのまま書いたのですが、
ちょっと長くなったので、「小鮒釣り」の続きは、
次の記事にて^^;
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